日本が戦争に負けた本当の理由
長い間、日本が何故あの狂気としか言いようのない日中戦争~太平洋戦争を始めたのか分からなかった。先日、古川愛哲著の「坊ちゃんと日露戦争」(徳間書店)を読んでやっと謎が解けた。
昭和天皇が戦時中に語った言葉がある。
「志那(中国)が案外に強く、事変の見通しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(1940年10月12日)
「日本は志那をみくびたり、早く戦争を止めて、十年ほど国力の充実を図るが尤も懸命なるべき」(1941年1月9日) ここで問題なのが、なぜ日本が中国を見くびっていたのか、軍部さえ予測を誤っていたのかである。
19世紀末、朝鮮は腐敗の極みにあり、国家の体をなさない状態であった。また、18世紀から欧米列強に痛めつけられ腐敗した清朝は弱体化していた。そこに資源を持たない日本が付け込もうとしていたのだ。
明治維新により日本の近代化を成し遂げた明治の政治家達は、欧米の国々に習って植民地を確保し、ゆくゆくは植民地からの上がりで日本を食っていけるようにしようと考えたのだろう。そこで彼らは植民地に対する優越感を次世代に植え付ける為に、朝鮮や中国を侮蔑する教育を小学校で行ったのだ。
「高等小学校を出る前の年(明治27年)には日清戦争が始まった。敵国人は劣等民族で、まともにシナ人と呼ぶ者はなく「チャンコロ」とか「チャンチャン坊主」と呼ぶことになったいた。」 (山川均)
「私たちはこの戦(日清戦争)の始まるその日まで志那人を悪い国民だとは思っていなかったし、ましてや志那に対する憎悪というものを少しもわれわれの心の中に抱いていなかった。(中略)戦争が始まると間もなく、絵にも唄にも志那人に対する憎悪が反映してきた。」(生方敏郎「明治大正見聞記」中公文庫)
この頃のある清国留学生の体験談である。「ある日、(小学生の少女が)部屋に来てとつぜん、壁にかけてある中国の地図を指して、それは将来日本のものだね、と言った。はっとして聞き返すと、だって日本の兵隊さんが強くてシナ兵は弱く、そしてシナ人はだらしなく亡びるんだって、亡びたらシナも日本のものになるんだって先生が教えたもん、と答えた。私は腸が煮えくりかえり・・・」
日本中の小学校でこうした洗脳教育(マインドコントロール)が行われた。その成果はめざましく、日本中の少年少女が愛国心に燃え、東京では少年3人が中国人商人に石を投げ襲撃する事件が起こった。今だに根強く続く朝鮮人、中国人蔑視思想の始まりである。
だが、明治政府の殊勲達が予想しなかった事があった。この愛国洗脳教育が次世代の日本の指導者を毒し、彼らから広い国際的視野と客観的判断力を奪ってしまったのだ。そして、日清、日露戦争に勝利して、日本は神国であると彼らは本気で信じるようになった。日本は植民地なしでは生き残れないという明治政府の教育通りに、昭和の軍人達は「満蒙は日本の生命線」と言って中国を強引に侵略していったのだ。
中国人は世界で最も恐るべき戦略民族である。何千年もの間戦争や謀略の歴史から戦略戦術論を練り上げてきた。国民党軍のリーダー蒋介石が「日本はたぶん陸軍はソ連に向かい、海軍はアメリカを相手に戦うだろう。いずれをとっても破滅の道だ」と日本の行く末を予見していたように、中国人は当時の日本指導者より遥かに賢明であった。
しかし、中国人蔑視洗脳教育を受けて育った昭和の軍人達は完全に中国人をナメていた。「中国人はバカだからニーライライと言えば、のこのこ出て来る」中国大陸へ派兵された大日本帝国軍人の認識はそんなレベルであった。かくして、広い中国大陸で日本軍はゲリラ部隊に翻弄され、中国人民軍に包囲され負け戦の色を濃くしていった。
もし日本軍部が中国兵法の古典「孫子の兵法」に従っていれば、あんな無謀な戦略はしなかっただろうとよく言われる。戦線を徒に拡大し、戦局を長期化し国家経済を疲弊させた日本の戦略は、ことごとく孫子の兵法に逆らっている。中国を馬鹿にしていた昭和の軍人達は、中国兵術の古典など読むに値しないと考えていたのだろう。一方で、中国共産党軍のリーダー毛沢東は初期のプロシア戦術による敗北に学び、孫子の兵法による戦法に転換し勝利を収めていった。
日本軍部はノモンハンでソ連戦車部隊に破れ、中国で行き詰まり、英米に中国全面撤退を迫られ、ついにヤケクソの太平洋戦争を始める。大日本帝国軍首脳部に中国撤退という選択はなかった。なぜなら、彼らが少年期に施された「日本は植民地なしでは生き残れない」という洗脳プログラムには逆らえなかったからである。
毎年8月や12月になると、評論家がなぜ日本は戦争に負けたのかを雑誌上で論争しているが全く意味がないと思う。明治政府が洗脳教育を次世代に施し、彼らの判断力を歪めた時点で、もう次世代の戦争の敗北は決定していたのだ。
明治期の標語「富国強兵」は、実は「万国対峙」が4文字付いた「富国強兵万国対峙」であった。昭和の軍人達はその言葉に忠実に従い、世界を敵にして戦おうとした。洗脳教育が如何に恐ろしいか分かる。次世代を担う子供達に誤った教育をすると国を滅ぼすことになる。日本人はこの教訓を末代まで語り継ぐべきだろう。
日本を救った男!? http://matrix80811.blog97.fc2.com/blog-entry-156.html
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昭和天皇が戦時中に語った言葉がある。
「志那(中国)が案外に強く、事変の見通しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(1940年10月12日)
「日本は志那をみくびたり、早く戦争を止めて、十年ほど国力の充実を図るが尤も懸命なるべき」(1941年1月9日) ここで問題なのが、なぜ日本が中国を見くびっていたのか、軍部さえ予測を誤っていたのかである。
19世紀末、朝鮮は腐敗の極みにあり、国家の体をなさない状態であった。また、18世紀から欧米列強に痛めつけられ腐敗した清朝は弱体化していた。そこに資源を持たない日本が付け込もうとしていたのだ。
明治維新により日本の近代化を成し遂げた明治の政治家達は、欧米の国々に習って植民地を確保し、ゆくゆくは植民地からの上がりで日本を食っていけるようにしようと考えたのだろう。そこで彼らは植民地に対する優越感を次世代に植え付ける為に、朝鮮や中国を侮蔑する教育を小学校で行ったのだ。
「高等小学校を出る前の年(明治27年)には日清戦争が始まった。敵国人は劣等民族で、まともにシナ人と呼ぶ者はなく「チャンコロ」とか「チャンチャン坊主」と呼ぶことになったいた。」 (山川均)
「私たちはこの戦(日清戦争)の始まるその日まで志那人を悪い国民だとは思っていなかったし、ましてや志那に対する憎悪というものを少しもわれわれの心の中に抱いていなかった。(中略)戦争が始まると間もなく、絵にも唄にも志那人に対する憎悪が反映してきた。」(生方敏郎「明治大正見聞記」中公文庫)
この頃のある清国留学生の体験談である。「ある日、(小学生の少女が)部屋に来てとつぜん、壁にかけてある中国の地図を指して、それは将来日本のものだね、と言った。はっとして聞き返すと、だって日本の兵隊さんが強くてシナ兵は弱く、そしてシナ人はだらしなく亡びるんだって、亡びたらシナも日本のものになるんだって先生が教えたもん、と答えた。私は腸が煮えくりかえり・・・」
日本中の小学校でこうした洗脳教育(マインドコントロール)が行われた。その成果はめざましく、日本中の少年少女が愛国心に燃え、東京では少年3人が中国人商人に石を投げ襲撃する事件が起こった。今だに根強く続く朝鮮人、中国人蔑視思想の始まりである。
だが、明治政府の殊勲達が予想しなかった事があった。この愛国洗脳教育が次世代の日本の指導者を毒し、彼らから広い国際的視野と客観的判断力を奪ってしまったのだ。そして、日清、日露戦争に勝利して、日本は神国であると彼らは本気で信じるようになった。日本は植民地なしでは生き残れないという明治政府の教育通りに、昭和の軍人達は「満蒙は日本の生命線」と言って中国を強引に侵略していったのだ。
中国人は世界で最も恐るべき戦略民族である。何千年もの間戦争や謀略の歴史から戦略戦術論を練り上げてきた。国民党軍のリーダー蒋介石が「日本はたぶん陸軍はソ連に向かい、海軍はアメリカを相手に戦うだろう。いずれをとっても破滅の道だ」と日本の行く末を予見していたように、中国人は当時の日本指導者より遥かに賢明であった。
しかし、中国人蔑視洗脳教育を受けて育った昭和の軍人達は完全に中国人をナメていた。「中国人はバカだからニーライライと言えば、のこのこ出て来る」中国大陸へ派兵された大日本帝国軍人の認識はそんなレベルであった。かくして、広い中国大陸で日本軍はゲリラ部隊に翻弄され、中国人民軍に包囲され負け戦の色を濃くしていった。
もし日本軍部が中国兵法の古典「孫子の兵法」に従っていれば、あんな無謀な戦略はしなかっただろうとよく言われる。戦線を徒に拡大し、戦局を長期化し国家経済を疲弊させた日本の戦略は、ことごとく孫子の兵法に逆らっている。中国を馬鹿にしていた昭和の軍人達は、中国兵術の古典など読むに値しないと考えていたのだろう。一方で、中国共産党軍のリーダー毛沢東は初期のプロシア戦術による敗北に学び、孫子の兵法による戦法に転換し勝利を収めていった。
日本軍部はノモンハンでソ連戦車部隊に破れ、中国で行き詰まり、英米に中国全面撤退を迫られ、ついにヤケクソの太平洋戦争を始める。大日本帝国軍首脳部に中国撤退という選択はなかった。なぜなら、彼らが少年期に施された「日本は植民地なしでは生き残れない」という洗脳プログラムには逆らえなかったからである。
毎年8月や12月になると、評論家がなぜ日本は戦争に負けたのかを雑誌上で論争しているが全く意味がないと思う。明治政府が洗脳教育を次世代に施し、彼らの判断力を歪めた時点で、もう次世代の戦争の敗北は決定していたのだ。
明治期の標語「富国強兵」は、実は「万国対峙」が4文字付いた「富国強兵万国対峙」であった。昭和の軍人達はその言葉に忠実に従い、世界を敵にして戦おうとした。洗脳教育が如何に恐ろしいか分かる。次世代を担う子供達に誤った教育をすると国を滅ぼすことになる。日本人はこの教訓を末代まで語り継ぐべきだろう。
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