大量殺人のカルマの克服
大量殺人を犯すというのは、実は輪廻転生の旅において誰でも経験することらしい。多次元的に存在する魂の集合体、マイケルのチャネリング情報によれば、魂は5段階の発達段階がある。赤ん坊期、幼児期、青年期、老年期、無限期がそれである。
幼児期の魂は、敵意に満ちた環境に生まれると往々にして、周囲への反発から大量殺人に走ってしまう。いわば、魂の第一反抗期だろう。問題は、この大量殺人を繰り返すと、殺人自体を楽しむ快楽殺人の癖がついてしまう事である。こうなると転生しては低次元アストラル界(いわゆる地獄界)へと戻るパターンに、はまって抜けられなくなるのだ。
このパターンからの主要な脱却法は、芸術家になり犯罪衝動を芸術に昇華するというやり方である。小説家や漫画家で、何かに取り憑かれた様に殺人物ばかり書く人がいる。劇画家のさいとうたかをや小説家の故大藪春彦がそうだ。彼らは、最近の過去生で大量殺人のカルマを克服した魂に違いない。その記憶を彼らは、小説や劇画として書いているのだ。
さいとうたかをや故大藪春彦の現世での物質的成功は、「よくぞ大量殺人のカルマを克服した。はい、御褒美」という宇宙からのプレゼントなのだろう。さいとうたかをは少年時代に河内の悪童として有名で、近所のおばちゃんから「あんたなんか大きくなったら絶対刑務所行きや」と言われていた。氏は散髪屋になろうとしたが、「客の髭をカミソリで剃っていると、殺してしまいそうで恐ろしくなって辞めた」という。過去生の記憶に間違いない。
ヒトラーも若い頃に画家になるのを目指していたが、芸術学校の入試に落ちて右翼運動を始めた。芸術家になる事により大量殺人のカルマを克服しようとしたが、途中で挫折し「やっぱ俺無理ッス」とバックれたのであろう。
このカルマの克服には、進歩した魂の両親による多大な愛と教育が必要である。また、幼児期に悪い事をしたら地獄に行くと刷り込むのが不可欠だ。理想を言えば、瞑想や祈りを実習させ負のオーラを中和し、人助けをする事によりカルマの浄化を行うのが望ましい。
フラワーエッセンスを使用すれば、浄化は早まる。バッチフラワーのアスペン、ホリー、クラブアップル、スィート・チェストナット、ウィロウ。ブッシュフラワーエッセンスのフリンジド・バイオレット、マウンテン・デビル。FESフラワーエッセンスのカレンデュラ。
最後に2500年前に起きた大量殺人のカルマの克服例を紹介したい。
ある日、舎衛城の郊外の路上において、盗賊アングリマーラはブッダの言葉に悔悟し、武器を捨ててブッダに出家を乞い願った。アングリマーラは凶悪無比の盗賊として恐れられていた。彼は殺した人の指を切り落とし、首輪を作り首に掛けていた。(ヒンディー語でアングリーは指、マーラは輪の意味)。
ブッダの弟子となったアングリマーラは町に托鉢に出る度に、人々から石を打たれ衣を引き裂かれ、血まみれになって帰ってきた。ブッダはそれを見て言った。「バラモンよ、忍受せよ。そなたは忍受せねばならぬ。かつて犯した悪業によって何百年、何千年、地獄におりて受けるであろうその報いを、今ここで受けているのである。」
後にアングリマーラは次のような詩を作ったと言われる。「以前に放逸であった人も、後に努め励むなら雲を離れた月のようにこの世を照らす。以前に悪業を犯した人でも、後に善によって償うなら、その人は
雲を離れた月のようにこの世を照らす。」
秋葉原の事件に思うこと
秋葉原の事件の犯人のプロフィールや生い立ちがマスコミで報道され、その犯行の動機が
分析されている。これまでと同様に、家庭環境や残酷ゲームの影響という事にされるだろう。
加藤智大の携帯サイトへの書き込みは、彼が世間から迫害されているとの妄想を膨らませ
「どうせ、俺なんて」と内面へ追い詰められていく過程を示している。もし彼が内向的で従順な性格
だったなら、自殺していただろう。しかし、彼は内に秘めていた凶暴性を解き放ち、無差別殺人を行った。
方向性は違っても世間と自分への絶望から、全てを終わらせるという結論にたどり着いた事には変わりない。
加藤智大は社会が悪いという事も書いていた。現在の日本社会への不満を持っている若者は大勢いる。年金制度は崩壊し、労働条件は悪化する一方。健康保険にも加入できない者が大勢いる。これで暴動が起きない方が不思議だ。
一方で、お隣の韓国ではアメリカ産牛肉の輸入撤廃への反対で、中高生も参加する若者の大規模なデモが
起き、閣僚を辞任に追いこんでいる。韓国では若者のエネルギーが、不当な社会状況を自分達で改善しようとする健全な形で表れているのだ。
そして、日本では社会的なストレスの捌け口が無い。酒を飲んだり、スポーツ観戦やカラオケで騒ぐというのが一般的だ。昔なら地域ごとに祭りがあり、祭りの間だけは無礼講で共同体の人間全てが溜まったストレスを発散できた。だが、地域共同体が無くなった現代では、誰もが参加できる社会的な憂さ晴らしが存在しない。これが日本を自殺大国にしている原因の一つでもある。
現代日本を一言で表すなら、「余裕の無い社会」に尽きる。
タイには、毎年4月半ばに水掛け祭りがある。この祭りの間は、老いも若きも水鉄砲を持って、キャアキャア言いながら水を掛け合ってはしゃぐのだ。田舎ではゾウが道路を練り歩いて、道行く人に鼻から水を
ぶっ掛ける。インドでも、ホーリーという水掛け祭りがある。
日本でもこうした国中が参加できるお祭りがあれば、自殺も殺人も大幅に減ると思うのだ。いや、今一番日本が必要としているのは、国民全員が腐敗した政治や行政に対し立ち上がり、反旗を翻す事だろう。
大量殺人のカルマ
最近になって青年による凶悪な殺人が相次いでいる。一昨日の秋葉原での事件、土浦連続殺傷事件、JR岡山駅突き落とし殺人、横須賀タクシー運転手刺殺事件。これらは全て18~25才の青年によって起こされた。不気味な事にこれらの事件の容疑者は、全て異口同音に「殺すのは誰でも良かった」と言っている。
彼らは全て1983年~1996年の間に生まれた冥王星が蠍座の世代である。何度も書いたが、これらの世代の者は、過去生で極端に善人だった者と極悪人だった者に二分割する。この犯人達は、前世で同様の殺人事件(恐らく大量殺人)を犯した凶悪犯罪者だったと考えるのだ。
最近の事件に関して、マスコミに出た情報から、この過去生の殺人のカルマの表れ方を分析したい。
潜在期: 大人しく普通の少年に見えるが、眼つきが怖い、一旦切れたら怖いという特徴を持つ。また、過去生の悪いカルマのせいで「負のオーラ」を持つので、いじめられやすい。
発芽期: 17才前後から顕著な性格の変化が現れる、この時期から残虐性、犯罪の衝動、理由なき苛立ちが表れる。万事に消極的になり、それまでの部活や趣味をやめ、一人で殺人ゲームやホラー映画に熱中したりする。
顕在期: 残虐な妄想に取り付かれる。殺人をゲームなどでシュミレーションする。実際に小動物を殺す。
実行期: 波動が下がり切った時点で悪霊に憑依され、殺人を犯す。
過去生のカルマはよく植物の成長に例えられる。過去生の記憶は、非活動の「種子」の状態で眠っているが、適当な時期と条件下で再び芽を出し、人格の中で成長を始める。
その適当な条件とは、暴力的な文化に満ちた友愛の欠如した社会とスピリチュアルな知識の欠けた物質的な価値観を持つ家庭に育つ事である。
残念ながら、これらの条件を満たす環境改善されない限り、世界中で冥王星が蠍座の世代の者による凶悪事件が再び起こるだろう。
そして、時期とは通常15~18才、21才、24~25才である(12才、24才の木星の公転周期に大きな行動に出やすい)が、インド占星術のホロスコープを作成し、惑星の時期を検証するのが一番正確だろう。長崎女児殺傷事件の場合は12才だった。彼女も1992年生まれの冥王星が蠍座の世代である。
17才がなぜキレる? http://blogs.yahoo.co.jp/matrix80811/38285120.html
スーパーアイドルは10年周期で現れる その1
日本の芸能界には、10年周期で女性スーパーアイドルが現れる。占星術的に言えば、木星と土星が特別な位置関係を起こす年に、彼らはブレイクし、日本中を熱狂させるのである。
松浦亜弥 歌手デビューに先だってドラマ「美・少女日記」2000年10月に14歳でデビュー。2001年4月「ドッキドキ! LOVEメール」で歌手デビュー。 同年9月に「LOVE涙色」が大ヒットして、年末にNHK紅白に出場。以後ヒット曲を連発し、日本中に「あややブーム」を起こす。
森高千里 1989年、シングル「17才」(南沙織のヒット曲のカバー)が大ヒット、森高ブームを起こす。独特の作詞能力が注目され、アルバムが好セールスを記録する。1990年以降、精力的に全国ライブツアーを行う。1992年にヒット曲「私がオバサンになっても」でNHK紅白に出場。
松田聖子 1980年4月「裸足の季節」で歌手デビュー。同年8月「青い珊瑚礁」がヒット。1981年8月、「白いパラソル」が、TBS「ザ・ベストテン」で番組史上初となる「初登場第一位」を獲得。 ヒット曲を連発し、日本中に聖子ブームを起こす。
天地真理 1970年7月、視聴者参加番組「ヤング720」に友人と出演。1971年10月「水色の恋」で歌手デビュー、大ヒットする。以後ヒット曲を連発し、日本中に「真理ちゃんブーム」を起こす。
ザ・ピーナッツ 1959年2月、「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビュー。4月、「可愛い花」でレコードデビュー。1961年6月から日本テレビ系の人気バラエティー番組『シャボン玉ホリデー』でメイン司会を務めた。同年、怪獣映画「モスラ」が公開され、劇中歌「モスラの歌」が大ヒット。
美空ひばり 1949年1月、日劇のレビュー『ラブ・パレード』(主役・灰田勝彦)で笠置シヅ子の「セコハン娘」、「東京ブギウギ」を歌い注目される。同年、『悲しき口笛』(松竹)の主題化が大ヒット。1950年、「東京キッド」に出演、同名の主題歌もヒット。1951年、松竹映画「あの歌超えて」、「鞍馬天狗・角兵衛獅子」に出演、大スターとしての地位を固める。
李香蘭 1938年国策映画会社・満洲映畫協會(満映)から中国人の専属映画女優「李香蘭」(リー・シャンラン)としてデビューした。映画の主題歌も歌って大ヒットさせ、女優として歌手として、日本、満洲国(現・中国東北)で大人気となった。1939-40年、当時人気のあった日本人俳優の長谷川一夫と映画「白蘭の歌」「支那の夜」「熱砂の誓ひ」で共演した。
1941年2月、日本劇場(日劇)での「歌ふ李香蘭」に出演し、大勢のファンが大挙して押し寄せ、日劇の周囲を七周り半もの観客が取り巻いたため、消防車が出動・散水し、群衆を移動させる「日劇七周り半事件」が起きた。
淡谷のり子 1930年1月、ポリドールから「久慈浜音頭」発売デビュー。1931年コロムビアへ移籍、古賀メロディーの「私此頃憂鬱よ」がヒット。優れた歌唱力と、ステージでの圧倒的な存在感が日本中を魅了し、後に「ブルースの女王」と呼ばれる。
こうして並べてみると、明らかに法則性があるのが分かる。彼らは皆10年サイクルの始めでブレイクし、その後最低5年間は大ヒットを連発し、国中にブームを巻き起こすのだ。この正確な10年周期は、木星と土星の作る合と衝のアスペクト(0度と180度の位置関係)が原因している。
アイドルと国力には相関関係があるようだ。日本の経済が絶頂だった70年代、80年代にはアイドルはたくさん生まれていた。しかし、経済が落ち込み始めた90年代から、その数に陰りが見え始めたのだ。
松浦亜弥の歌をプロデュースしているつんく♂は、他のハロープロジェクト系アイドルには余り大した曲を提供していないが、松浦亜弥には神懸りの様に名曲ばかりを作っている。10年に1度のスーパーアイドルには、霊界の作詞、作曲家集団がヒット曲を与えているのではないだろうか?
ヒットメーカーの松任谷由美は、自分はシンガーソングライターではなくシャーマン(巫女)だと述べている。優れた芸術のアイデアは、この世を越えた存在から来るのだろう。
参照: Wikipedia, はてなダイアリー、 You Tube、ニコニコ動画